若い選手が懸命に走る姿は清々しく、見ていると眼がしらが熱くなってくる。こんな気持ちを詩に託してみた。
詩として出来上がると何でもないようであるが、漢詩の世界は、歴史的にもスポーツとは無縁で、適した詩語を拾うだけでも苦労する。
種明かしをするようであるが、漢詩を作る時は、詩語辞典を繰って、二字・三字熟語を適当に繋ぎ合わせる。春夏秋冬や慶事であればの詩語は豊富に用意されているので、詩語を拾うだけならそんなに難しくはない。
しかし、スポーツなどを詠うときにはほとんど詩語が用意されていない。日常的に使われる用語から、漢語らしきものを選んでくるというわけにはいかない。詩には熟した言葉、情感がある言葉をつかうことが必須であるからである。
また情景描写に精一杯で、あまりに説明に偏ると、これも詩としては不可である。出来上がった詩が、はたして詩らしいものになっているか読者の判定は如何に。
ここに京城とは京都の漢語的表現、賜杯は皇后杯、紫陌とは都大路のことをいう。
いささか旧聞に属すが、1月13日に恒例の全国都道府県対抗女子駅伝大会が京都で開催された。
筆者は、折り返し点である国際会議場に近く住まいしているので、散歩がてらに見物した。
中学生から社会人まで年齢層の異なる選手を集めて、各区間で競うこの駅伝はなかなかに面白い。
京都は開催地で力を入れているせいか近年は優勝することが多かった。今年は高校生を中心とする若いチームを組んだためか(アンカーに野口みずき選手が走ることになっていたが、故障でこの区間も大学生選手が走った)、今年は9位と振るわなかったが。